瀬谷松栄塾 三ツ境校

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できないことは怒らない。問題にするのは、その後の行動である

30秒で読むまとめ

問題が解けない、覚えていない、すぐには理解できない。そうした「できないこと」自体を怒る必要はない。
問題にするのは、読まない、考えない、直さない、ごまかすといった、その後に本人が選んだ行動である。
注意されたときは「自分は駄目だ」で終わらず、何を変える必要があるのかを切り分けなければならない。

勉強は、できないことをできるようにするために行うものである。

最初から何でもできるのであれば、授業を受ける必要も、問題を解く必要もない。

問題が解けない。
英単語を覚えていない。
計算を間違える。
説明を聞いても、すぐには理解できない。

こうしたことは、勉強をしていれば普通に起こる。

理解する速さにも差がある。
覚えるまでに必要な回数にも差がある。
一度でできる子もいれば、何度も練習しなければ身につかない子もいる。

だから、単に「できなかった」という事実だけで怒ることはない。

できないところを見つけ、何が足りないのかを確認し、できるようにしていく。 それが勉強だからである。

同じ「できない」でも、注意する場面はある

ただし、できなかったときに何をしてもよいわけではない。

問題文をほとんど読まずに「分かりません」と言う。
図を書けば整理できる問題で、何も書かずに手を止める。
解説を読まず、答えだけを写す。
間違えた問題を直さない。
同じ注意を受けても、次の問題で同じやり方を続ける。

この場合、注意されているのは「問題を解けなかったこと」ではない。

解けない問題に対して、どのように向き合ったかである。

分からないことと、読まないことは違う。
知らないことと、考えようとしないことは違う。
間違えることと、間違いを放置することは違う。

結果だけを見ると、どれも「できなかった」で終わる。

しかし、指導する側から見ると、その中身はまったく異なる。

まずは、できるところまで動く

問題が分からなければ、すぐに正解までたどり着く必要はない。

まず問題文を読む。
分かっている条件に線を引く。
図や表を書く。
使えそうな公式や知識を思い出す。
どこまでは分かり、どこから分からないのかを整理する。

それでも進まなければ質問すればよい。

質問すること自体は悪くない。

むしろ、分からないまま適当に進めるより、何が分からないのかを整理して質問できる方がよい。

しかし、何もせずに「分からない」と言うことと、できるところまで試したうえで質問することは同じではない。

塾で見ているのは、正解したかどうかだけではない。

正解にたどり着くまでに、どのような行動をしたかも見ている。

「分かっていました」は、直さなくてよい理由にならない

間違えたときに、

「本当は分かっていました」
「ただのミスです」
「たまたま間違えました」

と言う子は多い。

本当に理解していたのに、一度だけ間違えたこともあるだろう。

しかし、テストでは、頭の中で分かっていたかどうかではなく、答案に正しく書けたかどうかで点数が決まる。

分かっていたのに間違えたのであれば、

なぜ間違えたのか。
次に同じ間違いを防ぐには何を変えるのか。

そこまで考える必要がある。

途中式を書く。
計算後に符号だけを確認する。
記述問題では問いに合った文末になっているかを見る。
英作文では主語と動詞を先に確認する。

具体的な行動に変えなければ、「次は気をつけます」と言っても同じことが起こる。

注意されるのは、間違えたからではない。

間違えた後も原因を確認せず、同じやり方を続けようとしているからである。

姿勢や考え方を否定することもある

「行動だけを注意し、本人のことは一切否定しない」と言えば、きれいに聞こえる。

しかし、実際の指導は、それほど単純ではない。

分からないのに分かったふりをする。
答えを見たのに、自分で解いたことにする。
注意された理由を考えず、怒られたことだけを問題にする。
自分の失敗を、教材や先生や周囲のせいにして終わらせる。

こうした場面では、その行動の背景にある考え方や姿勢まで注意することがある。

「その考え方ではいけない」
「その向き合い方は認められない」

とはっきり伝えることもある。

本人からすれば、自分自身を否定されたように感じるかもしれない。

実際、その場で本人が選んだ判断や姿勢を否定しているのだから、まったく否定していないと言うのも不自然である。

ただし、

「その行動は駄目である」ことと、
「お前という人間は駄目である」ことは同じではない。

直すべきものはある。
しかし、直せない人間だと決めつけているわけではない。

変えられると考えているからこそ、注意している。

注意されたときに、全部を自分の否定にしない

注意された子が、

「どうせ自分は駄目だ」
「何をやっても怒られる」
「自分には勉強が向いていない」

と受け取ることはある。

嫌な気持ちになること自体は仕方がない。

注意されて、うれしい人はほとんどいない。

しかし、「嫌だった」という感情だけで話を終わらせると、何も変わらない。

何について注意されたのか。
できなかったことを責められたのか。
それとも、できなかった後の行動を注意されたのか。
次は何を変えればよいのか。

そこを切り分ける必要がある。

「自分は駄目だ」という結論は、広すぎる。

途中式を書かなかったのであれば、次は途中式を書く。
解説を読まなかったのであれば、どこまで読むかを決める。
質問をせずに止まっていたのであれば、分からない場所を示して質問する。

変えるべきものを具体的にすれば、次の行動を選べる。

家庭で追加の叱責を重ねる前に

塾で注意されたと聞けば、保護者の方も心配になる。

「また同じことをしたのか」
「何度言われれば分かるのか」
「せっかく塾に通わせているのに」

と言いたくなることもあると思う。

もちろん、ご家庭でも厳しく伝える必要がある場面はある。

ただし、塾で注意されて落ち込んでいる子に、同じ内容をそのまま重ねて叱っても、本人の中に残るのが「みんなから怒られた」という感情だけになることがある。

まず確認したいのは、

「何ができなかったのか」ではなく、
「何を注意され、次に何を変えるのか」

である。

本人が説明できないのであれば、注意された内容を正しく理解していない可能性もある。

その場合は、塾と情報を共有し、直す行動を具体的にした方がよい。

反省しているように見えることより、次の行動が変わることの方が重要である。

勉強では、できないことより、その後が問われる

問題が解けないことはある。
忘れることもある。
何度説明されても、すぐには理解できないこともある。

それ自体で、その子の価値が決まるわけではない。

大切なのは、できなかったときにどうするかである。

読み直す。
調べる。
書いて整理する。
質問する。
間違いを直す。
次に防ぐ方法を考える。

できないことに出会った後の行動は、自分で変えることができる。

だから、できなかったことは怒らない。

しかし、できないことを理由に、読むことも、考えることも、直すこともやめるのであれば、そこは注意する。

勉強を通じて身につけてほしいのは、すべての問題を最初から解ける力ではない。

できないことに出会ったとき、そこで止まらず、次の行動を選べる力である。

2026.07.28 Tuesday