学校で評価される「できる」とは何なのか
学校では、「主体的に学習に取り組む態度」というものが評価されます。
ただ、ここで「主体的」という言葉に引っ張られすぎると、実際の学校生活で何が求められているのかが見えにくくなります。
学校生活の中で評価されているのは、必ずしも「自分から何かを始めること」だけではありません。
むしろ、
- 指示されたことをきちんとやる
- 提出物を期限までに出す
- 授業中に求められていることをする
- 学校やクラスのルールを理解する
- 「言われなくても、これはやるものだ」と判断する
といったことが、とても大きな意味を持っています。
つまり、学校という集団の中で、何を求められているのかを理解し、それに合わせて行動できることです。
「言われていないから、やらなくていい」ではない
例えば、提出物について考えてみます。
「提出自由」と書いてあれば、形式上は提出するかどうかを自分で選べます。
しかし、それを見て「では、やらなくてもいい」と考えるのは、少し違います。
学校には、明文化されたルールだけではなく、「これはやるものだ」という暗黙の了解もあります。
提出物を出す。
期限を守る。
授業の準備をする。
必要なものを持ってくる。
そうしたことを、いちいち一つひとつ指示されなくても理解して行動する。
学校生活では、こうした力も求められています。
これは「主体性」なのか
では、こうした行動を「主体性」と呼んでいいのでしょうか。
私は、少し違うと思っています。
自分から課題を見つける。
「もっと知りたい」と思って調べる。
「こうしたほうがいい」と考えて行動する。
そういったものこそ、一般的に考える「主体性」に近いでしょう。
一方で、
「先生に言われたからやる」
「提出するものだから出す」
「学校ではそうするものだから守る」
という行動は、主体性というよりも、自分が置かれている環境のルールや要求を理解し、それを自分で処理する力に近いと思います。
ただし、だからといって、この力が重要ではないわけではありません。
むしろ、とても重要です。
「自主性を尊重する」とは、何も言わないことではない
子どもに対して、「自主性を尊重しましょう」という言葉が使われることがあります。
もちろん、自分で考えて行動することは大切です。
しかし、自分で何をすべきなのか判断できない段階の子どもに、何も言わずに任せても、「何もしない」という結果になるだけかもしれません。
まずは、
「これはやるものだ」
「これは期限までに出すものだ」
「学校ではこうするものだ」
ということを教える。
必要であれば、大人が声をかける。
できないうちは、親や塾が管理する。
そして、自分でできるようになってきたら、少しずつ手を離していく。
この順番が必要だと思っています。
「指示通りにできる」ことは、ゴールではない
もちろん、「言われたことだけをやればいい」という話でもありません。
目指すところは、その先です。
最初は、言われたことをやる。
次に、言われなくても「何をすべきか」を考えて動けるようになる。
さらに、自分で必要なことを考え、自分から行動できるようになる。
この段階を踏んでいくことが大切です。
「指示通りにできること」は、主体性そのものではありません。
しかし、学校という集団の中で求められていることを理解し、自分で処理できるようになることは、その先の主体性を身につけるための土台になります。
そして、これは学校だけの話でもありません。
社会に出れば、「言われていないからやらなくていい」という場面ばかりではありません。
明確な指示がなくても、その場のルールや相手の意図を理解し、自分が何をすべきなのかを判断する必要があります。
だからこそ、子どものうちに、
「言われたことをやる」
↓
「何をすべきか自分で判断する」
↓
「自分で考えて行動する」
という力を、少しずつ身につけていくことが大切なのだと思います。
「自主性を尊重する」とは、何も言わずに任せることではありません。
できないうちは、大人が関わる。
できるようになったら、少しずつ任せていく。
その繰り返しで、自分でできることを増やしていけばいいのだと思います。
